つい先日
本当に怒りという
感情をコントロール
しなければならない
いや
コントロールを
していきたい
そう深く反省をする
出来事があった
怒りのコントロール
方法を学んだすぐに
現実でのお試しがきた
残念ながら
コントロールする
ことすら
頭から消えてしまった
瞬発的に
沸き上がった怒りとは
時に自分だけでなく
人へもいやな思いを
送る
怒りをコントロール
せずに反応すれば
「なぜあんなに強く
言ってしまったのだろう」
「なぜ、あんな態度を
とってしまったのだろう」
と後々反省をするが
取り返しがつかない
こんな時の
「ごめんね」
はあまりにも
自分勝手であり
相手に失礼である
そう実感した
人間がもつ
喜怒哀楽の中で
怒と哀は
抑えるのでなく
静かにそのエネルギーを
消すのがよい
抑えれば
また大きくなって
その感情は
現れる
後悔する
出来事が起きてから
毎日のように
怒りが起きたときに
どうするか
を考えた
ここでの武器は
やはり美学なのだ
如何なる時も
美しくとは
この怒、哀の時こそ
在らなければならない
どこまで
残酷なのだろうか
しかし
感情を感情のままに
出す方が
もっと残酷なのだ
美学において
間とは
絶対に欠かせない
いかに間をとり
そこにエネルギーを
注ぐか
そして
反応する前に
いかに
自分でエネルギーを
囲い混み
美しき強さへ変えるか
実は
先日のASAMIPARISで
この方法を習った
習ったとは
やはり知識であり
現実世界での
実行は
自分でしてこそ
ものになる
怒りをしずめるのは
おしゃべりではない
美学にて
エネルギーを
美しきものに
変えるのだ
怒哀のエネルギーの
時にも
美学を踏襲できたとき
はじめて
美しく在る
ということに
深みがでてくるであろう
美しく在るとは
鍛錬
この鍛錬の意味が
よく理解できる
誰かを気づつける前に
自分が後悔しないように
美学にて
エネルギーを
鎮めよう
まだ後悔の残存が
残ってはいるが
同じ繰り返しを
せぬよう
精進するのみだ
Hermitage

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